さくらんぼのアメリカ日記 おしゃれは人のため

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おしゃれは人のため 

例によってしょうもないひとりごとです。適当に読み飛ばしてください。

いつも書いているけれど、答えが出ないことはきらい。
人は、成長していく過程で、いつのまにか社会の価値観を取り込んで自分の価値観にしていくと、その昔心理学の時間に習ったのだけれど、それを聞いたときはとっても不思議だった。

なぜなら、私の中には、「私の好きなこと・やりたいこと」と「大人から押し付けられた面倒くさい社会のルール=浮世の義理」がはっきりと分かれていたから。

もうひとつ、ひとは、あるいは教師は生徒に「自分の意思できちんと考えて判断できるようになること」を教えなければいけないのだけれど、これは実は大変難しい」とか、「本来学校というところは生徒が自分で考えて判断できるようにするように教育すべきなのに今の教育は...」とか教育学の時間に聞いた気がするけれど、これも私には不思議なこと。

私の記憶にある限り、私は幼稚園の入園前から自分なりの理屈でものごとを判断していたと思う。幼稚園の入園前の検査で、赤と茶色のハート型を見せられて、何色か言わなければいけない検査があったのだけれど、で、その検査票の色はあんまり上出来じゃなくって、どうみても濃さの違う赤色が二つあるように見えたのだけれど、順番を待つ間に、「赤色が二種類あるわけないから、二つ目のほうは茶色って答えなきゃいけないんだろうなあ」って思っていた。私の前の子はふたつとも「赤」って答えて、「こっちは茶色でしょう」って言われてたっけ。

で、そんな子供だったから、誰がなんと言おうと、自分の身に危険が及ばない限りは、自分が納得しないことは絶対にやらない性格だった。

おしゃれは、ハイソックスにミニスカートの高校生までは比較的楽しめた。リップクリームはピーチ味で軽く着色できるおいしい奴専門。

もっとも5歳か6歳くらいの時のバレエの発表会で目の上につめたいつめたいマスカラを塗られて、べっとりとした口紅をつけさせられて以来、いわゆるお化粧にはトラウマがあるし、ストッキングをはくと足がかぶれる。

だから、いつも書いているけれど、大学生以降、おしゃれは苦痛だった。だいたい、周りの大人や友人に、「どうして私がきれいにならなきゃいけないの?」と聞いても、誰一人、私が納得する答えはくれなかった。

自分なりに考えるに、
きれいにするー>まともな就職ができる & まともな結婚ができる
というのが唯一の答え。でもさ、男の人きらいだもんね。
嫌いな男の子から「付き合ってください」って言われて「ダメです」って言うのもいやだしね。

一番大きな問題は、社会的な地位や名声や、世間体のよい仕事やまともな結婚・家庭生活、幸せというものは私の頭の上を素通りしていくものだと思っていること。(←おいしいものは素通りしないんだけどね)

だから、おしゃれなんていうのはきれいな姉ちゃん普通の女性がすることで弥太郎のおいらわたくしには関係のないこととおもいこんでいたこと。

いや、もちろん、浮世の義理だから、教育実習に行く時とか、就職活動で企業訪問する時とかは、かゆみ止めを塗りつつストッキングを履いたりとかはしたけれどさ。

でさ、この歳にして、ずいぶん遅すぎるとはいえやっと気がついたのだけれど、もしかしてこの浮世の義理のおしゃれっていうのは、自分のためじゃなくって、他の人が見て気持ちがいいように、他の人に不快感を与えないように、ある程度身奇麗にするっていうこと?

おしゃれは私にはふさわしくないけれど、世のため人のため、他の人を不快にしないためって思えば、ある程度はできるかもしれない!

って、夜は考えた。

でもさ、朝、10分余分に時間をかけて髪の毛ドライヤーでかわかすのって結構大変なんだよね、眠いし。
で、私の髪の毛は自然乾燥だとへなへなのですごいみっともないことになっちゃうのは子供の頃から。

なので、「明日からおしゃれするぞ! 洋服も買いにいくぞ!」
って、昨夜誓ったのだけれど、眠気にまけて今朝もぼさぼさ頭にぼろぼろの服で出社、退社後は、「洋服を買いに行く」予定が、食欲にまけてスーパーマーケットとコスコへ。

やっぱねえ、敏感肌と食欲をなんとかしないと...
まずは健康的な食生活で、アトピーがよくなってからね←ってことで、やっぱ、一生おしゃれとは縁がないな。

コメント

 本日の日経書評「共感の時代へ」で"empathy"と"sympathy"の違いを探しているうちにたどり着きました(1年前の記事だったので、直近の「ひとりごと」にコメントしています)
 日本語には書き分ける意識がないようですね。中学英語の記憶ではSVOOというのがあってO1にエンパシーして、O2にシンパシーを感じるというのかなと考えました。
 O1にjealousして、O2にenviousを感じるみたいなのではと感じた次第です。

sigma2様

コメント、ご訪問、どうもありがとうございます。
確かに、微妙な文法上の違いもありそうですね。
ただ、empathy"と"sympathy"については、英語の
ネイティブスピーカーでも疑問を持つ人が多いようで
参考にしたサイトは確か英語話者向けのものだったと
思います。日常会話での単語の意味と心理学の専門
用語としての単語の意味が微妙にずれているのが原因
かもしれません。同じアメリカ人でも聞く人によって
いろいろな答えが返ってきて興味深いです。

 早速のお返事ありがとうございます。確かに日常的には、日本においても区別していないですね。それに「同情」「共感」だと逆の用語になるような気もします。「同情」に対する「同感」はあるが“共情”はないとなるとまたややこしくなるけど、英語では、3語とも"--mpathy"とすっきりしていますが(笑)

sigma2様

こちらこそ、お返事ありがとうございます。
確かに、この場合は英語に規則性がありますね。
先日、Reactive と同じような感じで、Respontiveと言いたくなって
あ、英語にはこの単語はないから、ええっと...と必死でパラフレーズ
しました。言葉は興味深いですね。またコメントください。コメントは、
直近の記事でも古い記事でも、コメントの新しいものが右枠に表示される
ようになってますので、どちらでも大丈夫です。

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