さくらんぼのアメリカ日記 占いとお告げと暗示と

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占いとお告げと暗示と 

このテーマは書きたいことがありすぎて、支離滅裂な取りとめのない内容になってしまいそうな気がするのですが、いつものひとりごとということで、適当に読み飛ばしてください。

非常に矛盾しているとは思うのだけれど、私、催眠感受性は限りなくゼロに近いのに、とっても暗示にかかりやすい性格ときている。子供の頃は(え、今でも?)周りの大人からは「大胆でずうずうしくて図太い性格」と言われていたのが、小学校の時にお医者様から「いやあ、実に神経質なお子さんですね」といわれて以来、「そうか、私は神経質なんだ」と思い込むようになった。以来、家族の中で唯一の胃痛持ち。心配事があるとしくしく胃が痛む。

あれ、占いの話だったっけ。
基本的に、お化けの話とか幽霊、占い、前世、奇跡その他、あなたの知らない世界の話は大好きなのだけれど、催眠感受性ゼロゆえに俗に言う「幽霊を見た」みたいな体験はない。

神秘体験そのたいろんな話は割りに単純に信じ込んじゃうところがあって「興味深々(←字が違う気がするんだけど、変換できない!)」で、中学生の頃は聖書の先生が話してくれる幽霊の話とかサマーキャンプ中に雨で登山ができなくなった日の余暇の催眠術ごっこ(注:この先生は正式にトレーニングを受てらしたので、生徒相手に簡単な実演をしてくれました)なんて楽しくって楽しくって仕方なかったのだけれど、すぅっと催眠の世界に入り込んでいく友達をわき目でみつつ、私とその他数人はどうしても催眠状態に入れずにしら~っとしていた。

で、基本的に、神秘体験なんていうのは頭の中のたんぱく質やその他の化学物質のなせる技であって、人を強力な電磁波にさらすことで擬似的な神秘体験を作り出すことができるなんて話を聞くと、そんなもんだろうなあと思うけれど、でも、やっぱりこういう話は好き。

実家の母はとある宗教の信者で、時々、「霊能者」と呼ばれる方々からいろいろとありがたい「お告げ」というかお話を聞いてくるらしい。前にどっかで書いたような気がするけれど、「暗示にかかりやすい」私は、「いいお話なら聞いてもいいけれど、悪いことなら絶対にいわないでね。そのとおりに信じ込んでしまうから」と言って、間接的なお告げをきくことはご辞退申し上げている。

しかし、いつも書いているけれど、コミュニケーションが成立しない母と娘。
私にとっての悪いお告げとは、「近々悪いことがおきる」とか「体の具合が悪い」とかそういう類のもの。
母にとっての良いお告げとは「体に悪いところがあるから早めに対処しなさい」と言ってもらうことで大難が避けられるという類のもの。
よって、「よいお告げ」の名の下に、「あなたは病気です(あるいは病気になりやすいです)」みたいなお告げをしばしば聞かされて体調を崩したことがしばしば。

え、体調を崩したんならお告げがあたってたんだって? 医者にいって、「病気でもなんでもないですよ」って言ってもらって翌日から元気になりました。この時は、「お嬢さん、貧血気味でありませんか?」と霊能者の方から言われたらしい。

あの当時の私は、数ヶ月前の「単なる胃腸風邪!」が原因の入院から精神的に完全に立ち直ってはいなくて「白いご飯は見るのも嫌」という状態で、いつもの通り、「お菓子が主食」の生活を続けていた。「霊能者」の方が、母を通して私の食生活の乱れのサインをなんらかの形でキャッチしたのだとすれば、あながち外れていたわけではないのだろうけれど、そういった話は直接私に対してされるべきもので、母が間に入ってその「お言葉」が私に告げられる頃には、実際のサインとはかなり違ったものになってしまうのではないかな。事実、医者は、私の目の下まぶたの裏をチェックして、「心配なら血液検査をしてあげますけどね。それだけ血色が良くて貧血ってことはまずないでしょう」って笑ってたもの。私は熱出してふらふらになって薬もらいに行ったついでに、「まさかと思うけれど貧血の可能性なんてありますか?」って聞いたんだけどさ。

もうひとつ興味深いなあって思ったのは、母が祖母のことで、「霊能者様」の語ることがどれだけあたっているか感激して話してくれた時のこと。確かに、霊能者の方が語る、一度も会ったことのない祖母の話は、私の祖母が抱いている不平や不満に近いものがあった。一見、(一聞?)「すごいなあ、そんなことまでわかっちゃうんだ」と思いたくなる内容。でも、次の瞬間、「まてよ」と思った。母には言わなかったけれど、「お母さん、それは、お母さんが思っているおばあちゃんの気持ちでしょう。おばあちゃんが私に見せる態度とはぜんぜん違うじゃない。霊能者の方は、お母さんがおばあちゃんに対して抱いている気持ちを拡大解釈して教えてくれただけでしょうが」と思った。

アメリカに来て、パーティーの余興で「コーヒー占い」というのをしてもらったことがある。各自でコーヒーを飲んで、その時にコーヒー豆の挽いたのをほんの少しカップに入れておく。で、残ったコーヒー豆の状態でいろいろ占ってもらうというもの。このコーヒー占い、所詮は余興なんだけれど、なにがいいかって、占ってくださるちょっと霊感の強い男性の方は、心理学のPhDを持っている本職のセラピスト。もう、言ってくださるアドバイスのひとつひとつが的確なこと的確なこと。占いなんかなくったって、この人のアドバイスなら全部聞きたいって気分だった。

この時、私の将来(近い将来と遠い将来)について起きることについては大筋であたっていたのだけれど、時期その他が微妙に違っていたものと、聞いている私が解釈を間違えたもの、それと、サインが弱すぎて、見てくださった方にも実ははっきり見えないという内容のものがあった。なので、そうか、人に将来っていうのは必ずしも決まっているものではなくて、状況次第で変わるんだなあって思った。

この時非常に興味深かったのは、数日後に日本に一時帰国することになっていた私が、日本で会うであろう、私に対して批判的なロングスカートをはいた女性の話。曰く、「このロングスカートの女性は、君のことをいろいろ批判すると思うけれど、気にすることはないからね」というもの。

実際には、私はこの旅行中には「ロングスカートをはいた女性」には会っていない。
ただ、あとから気がついたのだけれど、この「ロングスカート」というのは、「私のことを批判する」女性がずっと以前によく着ていた服装...と考えれば、私は旅行中にその人に会っている。

ロングスカートの女性かあ。私自身がすっかり忘れていたことが、どうしてコーヒー占いでわかっちゃうんだろうか...
占いって、一般に考えられている程、非科学的なものでも神秘的なものでもなんでもなくって、その人の心の中にあるものが、ボディーランゲージみたいな形でなんとなく外ににじみでていて、勘が鋭い人がそういうサインを読み取って、解釈しなおして返してくれるのかなあって思った次第。

でもさ、占いって、実際の生活が充実してなくて大変なときはすご~く気になるけれど、日々の生活が楽しかったり忙しかったりするとどうでもよくなっちゃうって気もするんだけど。

コメント

そうですね。

私も若いころはとても気にしていた占いでしたけれど、年を取ると、もう歩いた道の方が長くなっているので、いまさらどうってことないやみたいな気持ちになってしまっています。ただ、統計として、こういう人が多い、ということだけはおもしろいので続けているところがありますが、まるで当たっていない人もいらっしゃると、ま、こんなもんだなあなんて(笑)
晩年成功型と言われて久しいのですが、全くその気配もないことですし(笑) とりあえずは、ひとさまに必要以上ご迷惑をおかけしないで生きていけたらいいなあと思います。

レイコ様

高校生の頃、星占いに夢中になっていたのですが
12年に一度の恋愛運というのが、ま~ったく
当たらなかったので、それ以来ちょっと醒めたかな
ってとこはあります。
星占いは悪いものはいやなので、だいたい運勢が似ている
同じ風の宮の占いを先に読んで、よさそうなら自分の
ところも読んでいました(笑)

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