さくらんぼのアメリカ日記 理屈と信条と自由意志と

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理屈と信条と自由意志と 

例によってひとりごとです。適当に読み飛ばしてください。

あ、先に昨日の食事記録を
朝ごはんのクミン味噌白菜。もとはizumiirunさんのレシピですが、かなり自己流。クミンとお味噌の組み合わせっていいですね。
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お昼とスナックセット
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夕食。ブロッコリーのオイスターソース炒めと残り物の秋刀魚。
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今朝の体重は90ポンドで変わらず。

以下はひとりごと

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まあ、これはアメリカ人に限ったことではなくて、日本人にもあてはまる人はかなりいると思うし、アメリカ人でもあてはまらない人もたくさんいるけれど、リベートディベート好きのお国柄というステレオタイプで言うならという話で...

思うに

ほとんどのアメリカ人は、自分のことを論理的な理路整然とした考え方をすると思い込んでいる。なので、何かの決定をする場合、まず理屈でものごとを考えてきちんと判断をして決定していると信じ込んでいる。多くの場合、実は最初に思い込み(こうしたい・ああしたい・これが正しいはずだ)があって、理屈はあとからこじつけているという事実にまったく気がついていない。

だいたいディベートっていうのは、ひとつのテーマに対して真っ向から対立する二つのスタンスで相手を言い負かそうというのだから、アメリカ人っていうのは、どっちに転んでも理屈で武装できるような教育を受けているんじゃないかと思う。私がディベートを習ったのは大学3年生くらいのときだけれど、アメリカ人ってたしか高校生くらいで習うと思う。このディベートのクラスの感想は、私の専攻だと必修だからいやいやとらされた授業なのに、まわりは英語大好きで一年生のときからディベートをやっているESSのメンバーばっかりでついていくのが恐怖だった。「結局、理屈ってあとからいくらでもつけられるんだなあ」というもの。で、生まれつき理屈っぽい私は、(当時英語力はなかったけれど)理屈ならまかせてとどう転んでもてきとうな言い訳を考え付くのは得意。以来、人が、「どう考えてもこっちが正しいと思うんだ。だってこうだもの」というのを割りにしらっとして聞いている。それは、理屈が正しいからじゃなくて、あなたがそうしたいと思っている、あるいはそれが正しいと思い込んでいるだけでしょがと。

この信条が先か理屈が先かの最たるものは無神論者と有神論者の議論で、これは永遠にらちがあかない。人がそれほどまでに論理的・理知的な頭脳の持ち主であるのなら、ディベートを続けるうちにお互いが歩み寄って、真実に限りなく近い共通点を見つけることも夢ではないと思うのだけれど、実際にそういうことはおこあないので、やっぱ、理屈よりも信条が先だから、どこまで話し合ってもお互いに平行線になっちゃうんだろうなあって思う。

次にいつも思うのは、日常生活のレベルではなくて哲学とか宗教学のレベルで考えた場合、はたして自由意志は存在するのかという問題。いや、そんな高尚なレベルじゃなくたって、私自身の過去を振り返ってみても、「自分の意志で決めた」と思い込んでいる過去の意思決定のいったいいくつが、本当に自発的な私の意志にもとづいていたのかと考えるとよくわからなくなる。おなかがどうしようもなくすいているときに、500円玉と、350円の価値しかないその場ですぐ食べられる果物を差し出されたら、多分、果物を選ぶと思う。大方の意思決定なんて、ぜ~んぶこの延長線上にあるような気がするのだけれど。

そう考えると、人が行える唯一の意思決定は、何また有神論と無神論にもどっちゃいそうだけれ、何かを信じるか信じないか、あるいは、自分で決めた信念をつらぬくかどうか...そのあたりだけになっちゃいそうな気もするし...

もっとも、聖書の「この世のはじめから定められている子羊の書に名前が記載されているものだけが...」(詳細うろおぼえです)なんてのを読むと、この部分にすら自由意志は介在しないのかしら...なんて思ってしまう。

複雑

コメント

お詫び

大変申し訳ありません。
うっかりとコメント一件削除してしまいました。大変失礼いたしました。

ディベート

こんにちは。
1年生からESSでディベートを楽しんでいました(笑)。
ディベートには、歩み寄りという理性的判断は
ありえないでしょう(笑)。
勝ち負けのゲームですからね。
たぶん、自然科学などの理学だけが真理を求めて
いるのでしょうね。文科系には「正しい」かどうかは、
意味がありませんし、求めもしません。
彼らには「真理」に価値がないでしよう。
人間の自由意志は、キリスト教では認めていないです。
日本人の場合、無神論者はほとんどいないでしょうね。
不可知論がほとんどですね。面白い事に・・・・

LaceyBlue様

わあ、すごい
私は出来ることなら英語は避けて通りたいと
すっと思っていたので、あのクラスは頭が
痛かったのです。
ディベートは勝ち負けのゲームって、本当に
そうですね。
日本人は不可知論がほとんどっていうの
面白いですね。でも本当にそうだと思います。

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