さくらんぼのアメリカ日記 謙虚でありたいと思う

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謙虚でありたいと思う 

アップの順番がいろいろと交錯しています。この記事を書いているのは2月22日、でも、下書きしておいたのがたくさんあるのでアップが遅れました。食事の写真はカメラに残っていた日本行き前最後のもので2月4日になってます。
中身はひとりごとなのでまず食事記録をサクッと。
大根のスープ煮と、
IMG_2469.jpg

残り物のお弁当とおやつのサンドイッチ、IMG_2471.jpg

あと豚肉のポトフ...旅行前の冷蔵庫いっそうメニューだったって話が...
IMG_2473.jpg

以下、ひとりごとです。
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ずっと長いこと、「本当に、私ってなんにもできないんですよ。なんとなく、いつも周りの人に助けられてなんとかなっちゃうのですけれど。」とか、「頭がいいですって?とんでもない。親がエスカレーター校に入れてくれたのでとりあえず大学の卒業証書は持ってますけど、人並みに受験勉強すらしてないから知識ないし...」というのが口癖だった。

特に謙虚な性格だからというのではなくって、単に自分に自信がないだけなのだけれど、心の底からそう信じ込んでいた。だって、アメリカに来るまで...あと、アメリカに来ても最初の5年くらいは、自分の力でやり遂げものなんて何一つなかったもの。一応、アメリカの学位も持っているのだけれど、これも諸般の事情によりドサクサに紛れて卒業試験に合格してしまったというだけで、私の実力ではないのは本人が一番良く知っている。

だけど...
アメリカでなんとなく就職してしまって、M&Aの嵐に巻き込まれて転職を繰り返して...
いつの間にか、表向き、自信たっぷりに、「大丈夫、まかせてください」というようになった。
だって、そう言わないと生きていけないもの。
そして、ハラハラドキドキしながらやったことが一つ一つ結果につながると、それが自信につながっていく。人前で話しをすることなんて絶対に出来なかった筈の私が、せっぱつまると(かなり下手ではあるが)ちょっとしたプレゼンくらい涼しい顔してやってのけちゃうこともある(全然平気じゃないし、これはいまだにか~なり下手ですが)

で、長年やっている仕事だと、「当然でしょ。いつもやっていることだもの。簡単簡単」なんて思うようになって、うっかりすると大切な下準備すら手を抜いてしまうようになった。

謙虚というのとはニュアンスが少し違うけれど、かなり以前から、「この世のものはすべて借り物」だと思って暮らしている。「裸で生まれてきたのだから裸で死のう」(でしたっけ)というヨブの言葉ではないけれど、人間、生まれるときも死ぬときもわが身一つ。お金を出して買ったものも、所詮は生きている間、使わせてもらっているものにすぎない。

ものだけではないと思う。この体もまた借り物。ま、死語の世界があるかどうか不明だから、体とともに魂も消滅するという考えもできるけれど。

体だけではないと思う。私が、比較的論理的な考え方をするのは、そういった頭の構造に生まれついたから。比較的記憶力がよいのもしかり。この力は歳を重ねるごとに衰えていくのだろうし、明日にでも頭に大怪我をすれば一瞬で失われるかもしれない。思考も、考え方も、能力も、すべては借り物。与えられたものを精一杯使って努力してきた人だったら、「はい、私の実力です」と堂々と言う権利があるのかもしれないけれど、ひたすら楽なほうに楽なほうに流れて生きてきた私には、自分のものと言える確固としたものはひとつもない。

なのに、謙虚な感謝の気持ちを忘れて、「できて当然でしょ」とか、「お金を払っているのだからサービスを受けるのは当たり前」とか思うようになっている。

食事にしたって、たとえば日本で食べた食事はどれもおいしかったのに、スーパーのパンの味だの、食器がプラスチックで食べた気がしなかっただの、ちょっと冷めたものを出されたから食欲が減退しただの、贅沢なことばかり言っている。

確かに、質のよい行き届いたサービスやおいしい食事は嬉しいけれど、それは、出会えたらラッキーというもの。ちょっと冷めてしまった食事だって、短時間に大勢の食事を準備するために配膳の人が一生懸命準備してくれたもの。どうして、「ありがとう」って言って(思って)食べられなかったんだろう。

仕事にしたって、いろいろな人に助けられていつもここまで来ているのだし、みんなに感謝こそすれ、不平や不満を言うべきことではないのに...

なんだかなあ、ちょっと反省。

コメント

そのとおりですね

本当に、気がつくと謙虚さを忘れて当然のように思っていることがある。スーパーのレジでちょっとばかり時間がかかったとか、電話の対応が少しばかり悪かったからといって、不満に思ったり。 実は最近、バイト先が倒産して、今まで仕事があって当然と思っていたのがなんと傲慢であったかをしみじみと感じています。

こんにちは。
私は「謙遜」という態度が大嫌いで、これを愛する日本人は根本的に「傲慢」な民族だと考えています。
「謙虚」が好ましいかどうかは、状況次第だと考えます。「謙虚」と「傲慢」は、対極にあるもの
のように思われていますけど、実は同じものの裏表だと思いますよ。
人間は誰でもはじめから与えられている存在、と考えれば「傲慢」から逃れられると思います。
本当は、世界の8割方の人間は、そう教えられているはずなんですけどね。。。
(もちろん、日本人はこの中に入っていません)

miyu様

共感してもらえて嬉しいです。
え、バイト先が倒産!
それは大変ですね。
大丈夫ですか?

LaceyBlue様

私は、(自分に自信がないゆえに「謙虚すぎるので大胆になりなさい」
と先生方から言われて育ちましたので、日本人=謙虚を愛する国民
という発想はありませんでした。
ただ、その実、謙虚さなんか全然持ち合わせてないのに、おとなしくて
気が弱くて、謙虚なふりをしている人、そのくせ裏では結構
ちゃっかりしているような人(日本人に多いですよね)は嫌いです。
そういう意味では「謙虚でありたい」という表現はあまり適切では
ないかもしれないですね。でも、人の気持ちや人がしてくれたことを
素直に評価できるようになりたいと考えています。
信仰を持っている人達が、「していただく」とか「させていただく」とか
いう表現を使うのが大嫌いなのですが、気がつくと自分も時々使って
いますね(笑)

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鍵コメ様

コメントありがとうございます。
なんかとっても大変そうです。
元気だしてくださいね。

実は、私も本日職場でちょっと
考えさせられる出来事がありました。
あと、割りによく同じような気持ちに
なって落ち込むことがあります。
いつも、後から、原因は他のところに
あったってわかるのですけれど。
詳しくは書けないのでまた後ほど。

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