さくらんぼのアメリカ日記 週末パンその(1)とひとりごと

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週末パンその(1)とひとりごと 

相変わらずパンがやめられず、週末パンを復活しました。だいたい小麦粉2カップ半使ってフープロ語ねのパンを焼くとちょうどアメリカサイズのパウンドサイズの一個分、Sakulanboの一週間分のパンになります。

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問題は、一度にパン一斤焼いてしまうと、他のパンが作れないこと。で、気がつきました。なんだ、小分けしていろんなパンにすればいいんじゃないかと。なので、今週は、丸パンとコッペパン...
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じゃなくて、パースニップクリームパンとコッペパン。コッペパンは、日本で食べたエビチリ入りのパンが忘れられずに記憶を頼りにつくってみました。
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写真はお弁当用。↓の海老チリは昨日の夕食です。このままふんわりとラップすればおいしそうにできると頭ではわかっていたのですが、そうすると食べづらいので、ラップでぴっちりとつつんで、そのままチンしたら食べるときには見る影もない姿に(涙)。ただ、片栗粉でしっかり閉じてあって、レタスも水気を切ってあるので、パンに水分がしみてしまうということはなく、十分ふかふかでおいしく食べられました(←本日も自画自賛)。
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クリームパンは、ちゃんとカスタードを作る予定だったのですが、くじけたので別に作ってあったパースニップクリームパンになりました。クリームパンとかジャムパン、空洞ができずにジャムが沸騰しないほうほうをいろいろとネットで調べてみたのですが、答えは見つからず。経験上、ジャムパンは、間に空気の入った火の通りにくい天板で低めの温度で焼くとうまくいく確立が高く、クリームパンはクリームを固めにすると空洞ができません。アンパンやお芋クリームのパンだともっとうまくいきます。空気穴を上手に開けるという方法もあるのでしょうけれど、やわらかめのクリームにしたいときは、クリームやジャムをちょっとだけ入れて焼いて、中に空洞を作ってしまってから、あとからつめたらきれいに出来るのではないかと思って作ってみました。
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こちらは朝ごはんに食べたジャムパン。赤い穴のところから細い口金をつけた搾り出し袋でジャムを詰めました。上のクリームパンは同様にしてクリームをつめたもの。
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↑は一次発酵が終わった状態。↓は中の部分が空洞になって大きく膨れてます。
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パンは、いつものフープロパンです。材料は、オールパーパス粉 2 1/4カップとグルテン粉1/4カップ、塩小さじ1杯、グラニュー糖大匙2杯(少し甘めです)バター大匙2杯、水200cc。焼成時間は400°Fで15分前後。
写真のパンはこの約半分です。残りはどうなったかというと...明日に続きます。

以下、ひとりごとです。
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とうとつなひとりごとですが、不安の連鎖には加担しないようにしようと思います。

The buck stops here `という標語を大統領執務室に掲げていたのは、確かトルーマン大統領でしたっけ(?)、政治家が責任を他に転嫁して誰かがやってくれるのを待っていることをPass buckとかなんとかいうみたいだけれど、他の団体や他国に責任を転嫁せず、最終責任は大統領にあると言う意味で使っていたらしい。それとは少し(全然?)ニュアンスが違うけれど、不安の連鎖は私のところでとめる。他の人がいろいろな不安そうなことを言ってきてもそれに加担することはしないようにしようと思って。

これは、私も含めてのことなのだけれど、人というのは、ほとんどの場合、真実に直面するだけの十分な強さを持ち合わせていない。なので、架空の世界を作り上げてその中に安住しようとする。何かのはずみで、あるいは誰かがついうっかりと真実に近いことを言ってしまったり、その人が真実を直視せざるを得ない状況に追い込まれると、火がついたみたく怒るかパニックになるのが関の山。

話は戻りますが、今回被災された方々は、一日にして生活が急変してしまって、その心労やご苦労は大変なものと思います。親しい方を一瞬にして亡くされた方々の悲しみを思うと、かける言葉すら見つかりません。なので、以下のコメント、遠くアメリカで暮らしているSakulanboのたわごとです。被災された方々のことではありませんのでご理解ください。

地震や津波の被害もなく、計画停電の不便もなく、あくまでのんびりとアメリカで暮らしているSakulanboだから言えることだということも十分承知の上で。

今回の地震と津波はいろいろな意味であちこちに不安感を巻き起こしている。そして、地震の前と後で、私たちをとりまく現実が、あたかもすっかり変わってしまったかのような気分になっている。で、ここから先はいつも書いていることの表現方法が変わっただけなんだけど...

確かに、環境は変わったし、環境を含めたすべてを指して現実と呼ぶのならば、現実も変わったと言えるかもしれまい。でも、真実(って言い切っちゃっていいのかなあ)、人の命は明日をもしれないはかない存在だってことにはなんの変化もない。だけど、明日何が起こるかもしれないなんて不確かな状況は耐え難いから、みんな、あたかも「今」が永遠に続くような気分で、ちょっとばかりの貯金とか食料の蓄えとかで身が守れるような気分になって、そんな架空の現実を頼りに暮らしているにすぎない。家の壁とかドアの鍵とかがいい例で、ま、思いつきのこそ泥さんからは身は守れるだろうけれど、本気で家に乗り込んで物を盗んだり誰かを殺そうとする人がいたら、雨戸でも閉めない限り、ガラス戸なんて簡単に割られちゃうし、木造住宅のドアなんて、結構簡単に壊されてしまう。家の壁だって重機でつっこまれたらひとたまりもない。でも、そういうことは起きないと仮定して暮らしているのが私たち。

何度も書いているけれど、今回のことも、先の見えない不安も、今にはじまったことではない。真実を見えないようにしている嘘で塗り固めた架空の現実が壊されただけにすぎない。だから、不安感を煽るような話をする人がいても、にこにこ笑って聴いていようと思う。私の人生はいつものとおり、毎日にっこり笑ってすごしていく。(繰り返しますが、地震や津波の被害にあわれた方ににっこりするのではないですよ)。

まあね、↑にも書いたけれど、私も他の人と一緒だからね、不安感がないわけじゃない。でも、不安感は私のところで止めるの。どうやるのかって?私の秘密兵器はね、ほら、お菓子やパンを焼いていると不安感が薄れて幸せな気分になれるの。私のブログ、どうりで、お菓子やパンのアップ率が最近急増しているわけだ!

コメント

そうゆうことですよね

おひさしぶりですが、さくらんぼさんのブログはちょいちょい見てましたよ。

そうなんですよね。
私たちを取り巻く”危険なものに遭遇するリスク”というのは、別に今に始まったことによるのではなく、そこに気づくか否かということなんですよね。

“気づいてしまった”から皆不安になるんでしょう。

まあ、不安にかられたって、気にしなくたって、現実は変わらないんですからね、普通でいたいものです。笑

地震も津波も原発問題も”リスク”と”コスト”をどう考えるかという転換期にきているんでしょうね。

実は私も

今回の大震災の前、ニュージーランドの地震のあたりから考えていたのですが、人類って結構今までも大変なこと、戦争や、地震、疫病などを経験して来ていて、そのほとんどは人間にはどうしようもできないことだったんですね。だから、あまり、心配しても仕方がないし、もし、あと100年そういうことがなくても、交通事故や病気や、その他いろいろは確実にあるのだから、まあ、言い古されたことだけど、今を大切に生きるしかないのだということですかね。ダイエットしても仕方ないから、甘いもの食べよう(結論がこれというのは情けない)。

こんにちは。
人間は外に理由を探すけれど、いくら探しても見つけられません。
人間が改められるのは、自分の中だけです。
価値は受け手で決まるものです。

ゆきだるま様

日本に帰られていらしたのですね。
パソコン変えてから、リンクが見つけられなくて
すっかりご無沙汰してしまいました。
リスクとコスト、決断しなければならない上の方の
人たちはある程度理解しているのでしょうけれど
コストの部分は消費者には見えてないですよね。
じゃあ、その分高い電気代とか税金を払うのかって
なると、選挙民対策もありそうだし...
平和で何もなければ一番よいのでしょうけれど。

miyu様

ずっと前に、何かの映画のテーマで、自分の命が
あと数ヶ月だったら何をしたいかみたいなのが
あって、ちょっと考えてみたのです。
結論は、世界旅行でも贅沢でもなんでもなくって、
いつも通りの普通の暮らしでした。
あ、その前にあいさつ回りだけはさり気なく。
なんか、夢がないのですけどね、遣り残したことも
ないってことでしょうか。いいんだか悪いんだか。

LaceyBlue様

割りに最近(といっても10年くらい前ですが)の
心理学のセラピーの手法でそういうのがあった気がします。
起こってしまったことに理由を見つけようとしても意味が
ないのであって、ものごとはすべてありのままに受け入れる
ことが重要だとかなんとか...
出来事はすべてニュートラルで、幸不幸の意味付けは人間が
するものだってよく言われてますよね。
不幸のどん底にいる気分の時には絶対に受け入れ不可能な
理屈ですけれど。

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