さくらんぼのアメリカ日記 自分の姿が正確に見えないと...つづき

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自分の姿が正確に見えないと...つづき 

実は、このことを考えていたのは3日くらい前で、その後、いろんな考えが頭の中を駆け巡るうちに結構どうでもよくなっちゃったって話もあるのだけれど、まあ、結論まで書いておかないとなんとなく気分が悪いので。

昨日、「自分の姿は正確に見えていると思ってた」って書いたけれど、あれもあんまり正確な表現ではなくて、「自分以外の人の姿は正確に見えると思っているけれど、自分のことについてはよく見えないというか、過小評価する傾向にあるみたいだけれど、過小評価する分には実害はないと思っていた」というのが現状に近いかもしれない。

自分のことを過小評価していたのも今は昔の話であって、アメリカで生き残る術として、とりあえず、はったりでもなんでも、「できます」って言って、「できます」って顔して暮らしているところはあるけれど、今でも、このかなりの部分は、本人ははったりだと思っている。

ただ、はったりだとは思っているのだけれど、周りも私と同じくらいの能力かそれよりかなり低い人たちが、同じように、「できます」って言って堂々と暮らしているから、「れれ~、はったりって訳でもなかったんだ。じゃあ、こういうのは、本当に「できます」って思っちゃっていいのね」と認識を変えることが多かった。なので↑にあるように、結構自信過剰になってきた部分もある。

なので、↓の話は、あくまで、「以前はこんな風に考えていました」ということなので、現在進行形と捉えて、「そんなことないですよ。自信持ってください」と言っていただく必要はないのですが...

前にも書いたけれど、私、早生まれで小さく生まれて、そのまんま大きく育つことが一度もなかったし、月例が上の友達と年齢が上の従兄弟達に囲まれて育った。兄弟は姉一人で姉のお友達にも遊んでもらうことが多かったから、いつも一番年下。ひとりではなんにもできない味噌っかすのSakulanboちゃんだった。

なので、いつも誰かがついていてくれないと、新しいところに行ったりとか新しいところで何かしたりというのは不安で不安でできない(←とずっと思っていた)

学校にも家にも親戚にも頭のいい人達がたくさんいたし、母がこっそり見せてくれた知能指数も高くなかったから、頭もあんまり良いほうではない。両親も祖母もはなから私のことはあきらめてたもんね。「女の子なんだからね、学校の勉強なんてできなくていいんだよ。にっこり笑っていたら、誰かがお嫁にもらってくれるからね」と言われて育った。(これ、どれも前に何度も書いている内容だけどね)

小学校の先生方からは嫌われてるとずっと思っていた。事実、小学校の6年生の時の担任とはかなり相性が悪かったと思う。きっと、子供らしくなくてひねくれていて素直じゃないと思われていたに違いない。だってね、先生の質問している意味がさっぱりわからないから、「わかる人は手をあげなさい」って言われたって手なんかあげられる訳がない。あんまり手をあげないので、その他の手をあげない子達5人くらいと一緒に校庭に立たされたこともある。テストをするとある程度点数がとれるというのが理由らしいのだけれど、テストは切羽詰ってわからないなりに書ける事を書いたら、それがたまたま当たっていたというだけのこと。みんなの前で発言するのとは訳が違う。

小学校の時に風変わりな芸術家肌の音楽の先生がいた。よく、「目の澄んでいる子供はいいねえ。目が死んでいる子供はだめだよ。」と言っていたので、てっきり、私の目も死んでいるのだろうと思って聞いていた。実は、わが母君、誰でも飲み友達にしてしまうという特技の持ち主だったのだけれど、中学生の時、どういうわけかこの音楽の先生が夜遅くに酔っ払って我が家に立ち寄った。母達のグループとの飲み会だったらしい。酔っ払っているので、「お嬢さんに挨拶してから帰りたい」ととんでもないことをのたまう。大嫌いな先生だったので(おまけに酔っ払いだし)いやいや出て行ったのだけれど、「いやあ、久しぶりだね」と懐かしそうに言った後に、「僕はね、君の目が好きだったんだよ」と言って帰っていった。あれ、私の目が好きだったって言うことは、私は目が死んでいる子達のグループには属してなかったのね。この音楽の先生には勝手に嫌われていると思い込んでいただけなのか。

ま、この酔っ払い先生のおかげで、私の思い込みが事実とかけ離れる可能性があるってことは中学校のときに悟ったんだけどねえ、でも、いろいろな状況から判断するに、どう考えても、あの担任の女性教師からは嫌われていたと思うんだけれど、今となっては知る由もなし...っていうかお会いする機会はあるかもしれないけれど、きっともう細かいことは覚えてないんじゃないかと思うし、「あら懐かしいわね」で終わっちゃいそう。

閑話休題。

特技はって聞かれるといつも答えに窮するのだけれど、一応、自分で認めてたことは
とりあえず、お菓子は焼ける。でも、きれいにデコしたり体裁よく作るのは不可能。だって、美的センスないもの。
お料理は、(高校生の頃は)週一回くらい、気が向いたときにハンバーグとかシチューやパスタといった、いわゆる洋食メニューはいくつか作れた。でも、和食は無理。長じて、きままに食べたくなったときに何か作るくらいはできるようになったけれど、普通の主婦の方がなさっているように、毎日家族のために何か作ってというのはとても無理...なので、いまでも、若干苦手意識がある。

英語の発音は、中学校の時の先生方があきれるくらい下手だった!音としては入ってくるのに、その音を聞いて口で同じ音を作り出す能力皆無。音楽的才能もないから、イントネーションもアクセントもひどいもの。
そりゃあねえ、カタカナ英語は話さないから、日本で会う外人さんとかは、「発音がきれいだね」くらいは言ってくれるけれどね、あくまで、当時の英語をほとんど話さなかった日本の人達と比べての話でしょう...とずっと思っていた。最近、いろいろな方面の方からhこれとは逆のコメントを頂くようになってかなり戸惑っている。私(前にも書いたけれど)アクセラレーション(発音できないのでスペルも書けない)という単語のLとRをすべてひっくり返して発音して、教授に大笑いされたことがあるんだけどな。いや、あれは明るいお褒めの言葉のあとの笑いだったから実害はないのだけれどね。

あ、記憶力がいいのは認めよう。一応、耳から入ってきた事柄はかなりよく覚えている。ただし、本で読んだことは覚えられないし、人の名前も含めて固有名詞はまったく覚えられないからあんまり意味がない。仕事で毎日顔を合わせている日本人の方(←日本語名ですら覚えられない)の名前が出てこなくて青くなるのは毎日のこと。会議中とかに、「今○○さんがおっしゃった...」って言いたくて、○○さんの部分が出出てこないと大変。いまさら、お名前はなんて聞けないし、聞いたところで翌日には忘れてるしね。

英語力は...いや、一応こっちの学校教育受けてるから、一通りの英文は書けるよ。でも、アメリカ生まれでアメリカ育ちの同じような教育を受けた人達に太刀打ちできるレベルだとは思わないから、自分が書いた正しい英語を、彼らが書く(時々)間違えた英語にせっせと直していた時期もあった。ま、これはカリフォルニア外の話だけれど)

っと、また前置きがとんでもなく長くなってしまったのだけれど、要するに、こういう考えだと、自分が一番下でなんにもできなくて、他の人はみんななんでもできてよくわかっているに違いない!と勝手に思い込む。

英文法の苦手なアメリカ人が、私の何気ない「ね、どっちが正しいの、教えて」という一言に身構えてしまうことがあるなんてちっとも気がつかない。「あれ~、これ、文法的にちょっと変じゃない?」とか、「言いたいことはたぶん通じてるけど、厳密にいうと不正確で誤解される表現じゃない?」なんてことは、あまり何も考えずに不用意に発言してはいけない。よしんば、ボスが隣で聞いているかもしれない状況では絶対に口にしてはいけない。アメリカ育ちの人達っていうのは、ヨーロッパやカナダ系よりも批判に弱いからね。

前の会社での話しだけれど、「一週間後に取りにきますから、お願いね」と言っておいて、一週間後に言ったらまだできていなかった。30分もあればできる内容なので、即その場で、「じゃあ、何時に取にきたらいいですか?」と聞いたら、相手(日本人の年下僕ちゃん)の機嫌がものすご~く悪くなった。私、期日どおりにやってくれなかったことを一言もとがめてないし、仕上がる時間を確認したかっただけなのにどうしてってすご~く不思議だったのだけれど、要するに、頭の中でいろいろな段取りができないタイプだと、仕事にとりかかってみるまで、何時間で終わるのかは見当もつかなければ、いつ仕事に取り掛かれるのかも不明だったらしい。おいおい、そんなわがまま言ってないで、仕事なんだから、他の仕事ほっぽりだしてやるか(たかだか30分)それが無理なら、「今、先にやらないといけない仕事がいついつまであって、これの優先順位が高いので、これが終わったらやりますから、何時(何日に)取に来てください」って答えを期待してたんだけどなあ。

で、当時は、上司から、いいにくそうに、「○○君から、『Sakulanboさんみたいに仕事のできる人には僕の気持ちなんてわからないんですよ。もう少し口に聞き方に気を使うように言っておいてください』って言われちゃったのよ」と言われた。はあ、私は仕事ができて、彼らは仕事ができないって認識だったのか。
まあね、僕ちゃんが仕事をしてなかったのは認めるけれど、学歴だって職歴だって悪くないし、頭だって悪くない。そのどれ一つとっても私より上だと思ってたんだけどなあ。ま、あれは自分が仕事をしなかったことの言い訳だっていうのは上司にもわかってたみたいだけれどね。でも、あの時の私が彼の自信のなさというか劣等感に気がついていたら、あんなトラブルにはならなかったんだろうなあって思う。

ってか、等身大の自分の姿が見えていなかった私にもかなり責任があると思う。
もしかして、私には簡単にできちゃうことが(で、このおバカな私に簡単にできちゃうってことは、誰がやっても簡単にできるんだと本人は信じ込んでいる)実は、簡単にはできない人もいたんだ!
と悟ったのはここ数年。悟っても、こんな僭越な考え、絶対に表面に出してはいけないんだってずっと思っていた。

しかし、また真ん中はすっとばすけれど
こういうのってある意味、堂々と認めちゃったほうが人間関係がスムーズにいく場合ってあるのですね。





コメント

こんにちは。
う~んと長いのね・・・・(笑)

「僭越ながら」って言う日本人の言い方は、私は嫌いです。
「思い上った」と思っているなら、押し通せばいいのにねって
思ってしまう。日本人というか、日本人社会そのものが思い上りか
慇懃無礼なんだって、海外に出てから特に強く感じるように
なりました。私の一番嫌いなところですね。あと、日本人の劣等感ね。
こういうのは、連携していていちいち気にしていると限りなく拡大
していくので、堂々と無視することにしています。
「和風」を旨としている私の生活信条とは矛盾しません。

LaceyBlue様

そう、長いです(笑)
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
「僭越ながら」って変な表現ですよね。
僭越だと思うのなら言わなければいいのだし、堂々と
言うのならそんな前置きは入らないのだし...
でも、私の場合、習慣でなんとなく使っている気がします。
日本にいた時に、自分の色を隠して周りの色に染まろうと
(というか、表面上、保護色のマントを着ておこうと
必死でしたので、その名残でしょうね。
日本人の劣等感、独特のものがありますね。
劣等感自体はそれほど気にならないのですが、その劣等感が
アジカ系の国に対する優越感に変わるのが耐えられません。

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