さくらんぼのアメリカ日記 恐怖感と安心感と

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恐怖感と安心感と 

まあ、最近いつも書いているように、以前に比べると恐怖感はほとんどなくなっていて、普段はまるで感じていないといっていいくらいなんだけれど、先日、実は隠れた恐怖心が発覚したみたいなことは書いたと思う。私がやる物事は絶対にうまくいかないっていう無意識の思い込み。

長いです。ひとりごとです。適当にスルーしてください。

子供の頃は、夜、一人でお手洗いに行くとお化けが出ると信じ込んでいた。これが、だれかが(入り口までついてきてくれると不思議とこわくない。
同様に、どこか知らないところに行かなければいけない時、ひとりだと、恐怖心で死にそうになる。これが、やるのは全部私一人でも、隣に誰かがいてくれるだけで恐怖心がほとんどなくなる。実に不思議なんだけれど、「お姉ちゃんの金魚の糞」と呼ばれていた所以。

そんな私が何故アメリカで恐怖心に駆られながら一人でこんなに長く暮らしてきたのかっていうのは、運命のいたずらというべきか、単なる諸般の事情によるのか...

まあ、アメリカで暮らしている理由は、諸般の事情を考慮した結果の私の判断というか好みと言ってしまえばそれまでだけれど、人の(少なくとも私の)人生の課題や苦手なことというのは、面と向かってそれに取り組むまでは逃げても逃げても追いかけてくるものだと思う。

私、高校、大学と英語が嫌いだった。一般企業の一般職の面接はなぜか片端からしくじったのだけれど、今思い返してみると、英語についての質問が多かった気がする。多分...なんだけれど、当時の大卒女子として英語が絡む職場への配置を考えていて、私があんまり気乗りしなさそうな返事をしたのが失敗の一因かも。まあ、やってみればそれなりに楽しいわけで、こんな英語力で英語使って仕事してますっていうのもなんだから、ちょっと疲れたし、会社辞めてアメリカで遊んでこようかと留学でもしてみようかということになった。

追記:このくだり、はしょりすぎてますね。留学準備をした理由は↑に書いてある通りですが、最終的な決心はつかなかったのを、上司が勝手に私のために決心してしまったようなもの...というのは前に書きました。最終的には、現実の問題に立ち向かうよりもアメリカに逃げちゃった帆が楽という判断の結果です。

まあ、その後いろいろ転職した理由は、「ちょっと面白そうな話があるから乗ってみようか」等々様々なんだけれど、できるだけ、できるだけ、アメリカ人に混ざって英語を書くことを仕事にしなくていいようにといろいろな画策をしてきた。以前に書いた、選択肢が4つあって数ヶ月迷った末に決めた転職の理由もそれ。他の二つの選択肢が英語力を要求していたのに対して、その話は英語のライティング能力は必要なかったから。

そしたらさ、二ヶ月後くらいに配置転換があって、しっかり英語を書く仕事にまわされたんだよねえ。まったく、いったい何のために転職したんだったか。その後の転職も同じようなことばかり。まったく、プランニング・アナリストとして採用された私がどうして英文契約書を書かないといけないんだよ~ってな感じ。

この他にもとんでもないことがいろいろあったので、英語に関してはあきらめた。これは、苦手意識を捨てて取り組まない限り、どこまで行っても追いかけてくるなあって。

あれ、恐怖心の話だったんだっけ。また話がずれた。

過去の私の場合、恐怖心についてはきちんと自覚していなかったのだけれど、暇になると気が狂いそうになった。私の無意識をコントロールする方法は、何も考えなくていいくらい、目一杯仕事と遊びを入れること。そうすれば落ち着いて暮らせる(←いつもドタバタ走り回っていてちっとも落ち着かないが)

お菓子を焼くっていうのもひとつなんだけれど、これは状態が悪い時には使えない。ただ、気分がいい時にお菓子をやくとものすごっく幸せな気分になってものすごっく心が静まったもの事実。これも前に書いたと思うけれど、「君にとってお菓子を焼くことは瞑想と同じ効果があるんだね」って言われたっけ。そういうものなのかもしれない。

恐怖心が顕在化してしまった場合は、誰かにそばにいてもらうか、パニックになりそうなときに、「大丈夫だから。心配しないで」と誰かに言ってもらうこと。これ、すごっく助かる。私が結婚しなかった理由のひとつは、私のまわりにいたほとんどの男の人は、私に、「大丈夫だから」と言ってもらいたがるタイプで、私がパニクっていてもあんまりそういうことは言ってくれないタイプだったから。だから、ばらしてしまうと、私は包容力があって、「大丈夫だよ」って言ってくれるタイプの男性にめちゃくちゃ弱い。あ、弱かった(←過去形)

この「大丈夫だよ」と安心感を与えてくれるユニバース的な存在というのは、信仰してしまえば神からくるし、ユング心理学では集合的無意識の一番奥の深い部分から来るのではないかと思うけれど、数日前かな、こういうのって厳しい修行と鍛錬を積んでユニバースとのコミュニケーション能力を手に入れるよりも、信仰の力を借りちゃったほうがずっと楽だよなあとなんとなく思っていた。まあ、これは、宗教の役得というか利点というかいつも思っていることなので新しいことではない。俗に言う、「信じるものは救われる」ってやつ。

で、今日、キッチンで片付け物をしていておもった。「ああそうか。な~んだ」って。
実は、最近はまっているくず野菜が大袋一杯たまったのでスープをとって、お野菜はお焼きの中身にでもしようと圧力鍋でお野菜を煮て、このあとの処理と片付け物がやっかいだよなあって憂鬱になっていた。ただ、頭をよ~く整理してみると、一つ一つの作業はなにも難しいことではない。あれもこれもと考えるから頭が混乱して「大変!」ってなるだけで、段取り考えて、ひとつひとつこなしていくとちゃんちゃんって終ってしまった。この「な~んだ」は、「『今のこの瞬間は大丈夫な瞬間であって、何かがおこっておかしくなっちゃったり壊れちゃったり、そういうことはない』というのは、わざわざユニバースとか神様から毎回毎回教えてもらって『大丈夫だから』と励ましてもらわなければいけないものではなくて、今のこの瞬間は完璧な瞬間であって、何一つものごとがおかしくなっちゃったり変なことが起きたりとか心配することはないんだな」って。

ちょっとわかりづらいんだけれど、たとえば、私の嫌いなことに、で、またそろそろやらなければいけないことに年に一度の定期健診とかマモグラムとかがある。まず、電話をして予約をとらないといけない。これが厄介。で、次に車を運転して病院に行かないといけない。これが恐怖...

なんだけれど、今のこの一瞬は、マモグラムの予約の心配をする瞬間ではないから、そんなことを考えて憂鬱になる必要はないし、予約を取らなければいけない時になったら、その瞬間に、病院に電話して...とその瞬間、瞬間で必要なことを一つ一つ(一度にひとつだけ)こなして行けばちゃんちゃんって終っちゃうんだなあって。で、万が一、結果が悪かったりした場合でも、その後の処理もひとつひとつこなしていけば終るんだなあって。

このからくりがわかったら、こういった恐怖心が入り込まないようにするためにドタバタドタバタ忙しくなんかやらなければいけない必要がなくなって、お皿をあらったりとか片付けたりとか、そういうことが丁寧にできるようになって、そうすると、お皿を割る回数も減りそうだし...

なんか、この世界がまたほんの少し楽なところになった気分。

コメント

さくらんぼが好き

さくらんぼさんて、つまりは「後始末」をしてくれる人を望んでいるんだね?それは異性にだけなのかな?
皿洗いだとか大丈夫の責任感だとか、相手に求めているのは「後始末」なのかなと思ったよ。君が好き勝手にやっても後をちゃんと綺麗に始末してくれる全く都合のよい人間を求めているんだろう。
異性に限るのは君はどこかでやはり男と女を別に見ていて、男には甘えたいのだよ。君は本当は男に甘えたいのだよ。とても気まぐれでワガママで思いきり好き勝手にやって、最後は甘えたいのだよ。

  • [2011/07/18 05:47]
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  • さくらんぼが好き
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さくらんぼが好き様

「とても気まぐれでワガママで思いきり好き勝手にやって、最後は甘えたい」
そういう生活、出来たらいいですね。現実の私とは正反対ですけれど
深層心理の奥底に眠っていそうです。「気まぐれ」は顕在化してますけど。

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