さくらんぼのアメリカ日記 あ~あ、またやっちゃった・理屈か感情か

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あ~あ、またやっちゃった・理屈か感情か 

例によってひとりごとですが、その前に、多分アップしてないったと思われるずっと前のご飯。
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冷凍のロマネスクとハムの炒め物。お茶に見えるのはコンソメスープ。
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突然食べたくなったスパゲティー、ナポリタン風のつもりだったんだけど、やけに色がうすい。
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ロメインレタスの炒め物。たしかtogukiさんのところで拝見したふわふわ卵いためを参考にしたはずなんだけれど、ハムが多すぎてお手本とは似てもにつかないしろものになっちゃった。でも、卵とレタスの組み合わせがおいしい! togukiさん、ご馳走様でした。

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なんだかなあ、やっと仕事もひと段落して、もう気を使う仕事は当分あるまいと思っていた矢先、頼まれごとのメールが舞い込んできた。

ずっと前に読んだ、おばちゃまはスパイだったっけ、なんか、そんなシリーズで、「カーステアーズの依頼はよく考えてからじゃないと引き受けてはいけなかいような気がするんだけれど、考える時間はないわ、でも、断りたくはないわ。いいわ、はいって言っちゃいましょう。考えるのはあとにすればいいわ」みたいな文章があったけれど、今回、私がやったことも似たようなもの。

この依頼、よく考えてからじゃないと、引き受けてはいけないと思う。いろいろ大変かもしれないし...でも、断りたくないな。えい、引き受けちゃえ。考えたり悩んだりするのはあとでいいや

って...

最近、感情が先か理屈が先かっていう不思議な考えにとりつかれている。「理屈が命」の私としては、理屈に合わないことなんぞあってはいけないから、理屈がすべてのはずなのだけれど、同時に、「口から先に生まれたような奴」でもあるから、この世の真理(と思われるもの)とは無関係に、白いものを黒といい含めることもかなりたやすくやってのけてしまう。なので、口のうまい人の屁理屈がいかに無意味なものかは身に沁みて(?)わかっている。

つまり、人がその場の言い訳やつじつま合わせのために使う理屈っていうのはかなり無意味なものが多い。私が物ごとを判断するときは、いつも、それが、いろんな方面から検証してみて、理にかなっているか...というのもあるけれど、ほとんどは、複数の選択肢があるうちのどれを選ぶかだから、いろいろな条件をかんがみて、一番楽に簡単にできそうなもの、楽しめそうなもの、私の能力にあっていそうなもの、おいしそうなもの、少しの労力で結果が出せるもの...要は、楽しておいしいところがかっさらっていけそうな選択肢を選ぶことが多い。理屈もなにもあったものじゃないんだけれど、本人は、屁理屈こねて、それがいかにもただしい選択肢かってことを自分自身に納得させて悦にいっている。

そんな選択方式がまったく使えなかったのが、最終的のアメリカに残ってグリーンカードを申請してもらうか、日本にかえるかで4つの選択肢があるのにこれっていう決めたがなかったとき。結局これは、「えいやっ」て感じでひとつを選ぶしかなかった。

で、理屈とか私の好みとかとはほぼ正反対の選択をしたのが、カリフォルニアの戻ってくると決めたとき。どう考えても、私に向いている仕事とは思えないし、田舎暮らしが気に入っていたし、転職するなら、今度こそ、別の業界の私の好きな仕事と考えていたのだけれど、わざわざ飛行機で面接に行って、なにもかもうまくいったそっちの仕事からは見事に振られ...

何度も書いているけれど、この仕事、引き受けたくないな。でも、この状況から考えて、これは受けないといけない仕事だな。しゃあない、穴倉から這い出してみるか...と決めたのが、5年前だったのか、6年前だったのか...

この世の真理は絶対的なものだし、それは、数式とか言葉とか、すっきりした形で表現することは不可能ではないと思う。そういった真理のごく一面だけならね。

この世の中の道理にも従うべきだと思う。それが、真実に端を発したものであるならば...
でも、この世の道理と、人が作った屁理屈を混同してはいけないと思う。

同様に、ロジックだとか論理を使って真理を見極めようとすることは、十分にやる価値があると思うけれど、こと自分のこととなると、絶対なる真実よりもなによりも、自我が作り出す屁理屈でがんじがらめになって、真理がまったく見えなくなってしまっている。

そういう状況の時って、下手に屁理屈をこねて、ああでもない、こうでもないって言っているよりも、素直に、自分の心の奥底を見つめて、本当に自分が望むものを選ぶべきなんじゃないかな。「できるわけない」とか「こうするべきだ」とかいう人(というか、自分自身が作り出した)経理屈をこねて、結果的に正しい決断をしそびれるのではなくて。

そう考えると、真理に一番近そうに見える、観察力、判断力、類推能力、分析能力なんていうのはまるで無意味になってしまって、自分が楽しいと感じるか、悲しいと感じるか、心の奥底でどう感じているのかを正確に見極めるのが、一番の近道なのかもしれない。

この答え自体が理屈にあわないから、今、このいきなり閃いたみたいな答えをまだ受け入れられない自分がいるのだけれど、少なくとも、私のように理屈しか見えない人間にとっては、真実を見極める方法は、自分の感性に忠実になることなのかもしれない。

いろいろな人から、長いこと言われつつ、どうしても理解できないことだったのだけれど、急にそんな気がしてきた。

コメント

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鍵コメ様

コメントどうもありがとうございます。

あっしも理屈攻めする人なのでわかりましゅ(笑
女って理屈で生きてるらしいでしゅよぉ~(笑
もぉ~考え過ぎない事かな☆
どうにかなってるみたいなので☆
http://blog.ap.teacup.com/hokkaidou/

ぽん様

そうかあ、やっぱ、考えすぎないのが
一番なのですね。
でも、ついつい考えちゃうのですけど。

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