さくらんぼのアメリカ日記 ザ・パワーを読んで

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ザ・パワーを読んで 

ひとりごとです。
その前に、7月の3日分の食事記録…といっても夕食しかありません。
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玉ねぎたっぷりのステーキとサラダ。
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この日はフォルダにこれしかなかったけど、夕食の写真すら撮らなかったに違いない。
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スパゲティースクワッシュのガーリック炒めと残り物のチキンの煮物。前日の夕食もこの煮物だったような気がする。

以下、支離滅裂なひとりごとです。
お暇なかただけどうぞ。

さいきん、いろいろと鬱々の思うことがあって、前にも書いたけれど、まず、スティーブンカヴィーの七つの習慣のCDを聞きなおしはじめた。
Proactiveな態度が重要ということはとってもよくわかる。
Paradaimeをシフトさせるために、頭の中のマップ、つまり、私はこういう人間であってこれしかできないという思い込みを変えないといけないというのもわかる。というか、今回、聞きなおしてよくわかった。
でも、Put the End Firstっていうのはなあ…
そりゃあさあ、いいたいことはわかるよ。
でもねえ、まずゴールを見据えて計画が立てられれば誰も苦労はしない。そんなもん、さっぱりわからないからジタバタするんじゃないか…とここでCDを聞くのは中断。
んで、前に書いたけれど、図書館をぶらついていたら、以前に読んだ、「ザ・シークレット」と同じシリーズで「ザ・パワー」というのがあったので、気が向いて手にとってみた。

前回のザ・シークレットの感想は
たぶん、全部あたっているよなあ。
書いてあることはいいことだけれど、本としては論理が矛盾だらけで
おまけに、凡人には実行不可能だよなあ…

と思いつつ、ものすごく魅かれた。つまり、頭では完全に拒否しているのに、このメッセージの何かが私をものすごくひきつけた。で、別の「引き寄せの法則」なるものを読んで、ああ、具体的にはこういうことね、とわかった。

んで、日本に行ったときの天風会のセミナーに行って、ああそうか、同じことだよなあと思った。

まあね、どれも、子供の頃から聖書に親しんでいる私にとっては目新しいことはなにひとつなくって、すべて、新約聖書(時に旧約)聖書のあちこちに書かれていることばっかりだよなあ、宗教の教えだと実行不可能に見えるのに、こういうふうに具体例を上げて説明してもらうとわかりやすいや…

というもの。
で、また一巡してもとにもどった。
今回のザ・パワーは、荒唐無稽すぎて、こういう話を信じない人にはまるでくだらない本に見えると思うのだけれど、前回のザ・シークレットよりも話がもう少し具体化してあってわかりやすい。もっとも、別の人の書いた「引き寄せの法則」のパクリじゃないかっておもわれる箇所がないわけじゃないけれど、あ、これは私の記憶違いで、もしかしたら、前に書いてあったのはザ・シークレットのほうだったのかもしれない。

閑話休題。
「愛を与えなさい」というのは、新約聖書の教えの真髄であってこれが旧約との違いであると(教会で教わったことはないが)宗教学者っぽい人が唱えていた気がする。

君にとってはお菓子作りが瞑想と同じ効果を持つんだね、と言われたことがあるが、ボールと泡だて器を握り締めたとたんにものすごっく幸せな気分で笑顔になって、ボールを抱きしめて(あ、最近はキッチンエイドだから抱きしめないが)全愛情をこめてお菓子を作る…ってか正確には、意識せずともすべてに細心の注意を派らって、丁寧に丁寧に作ると、お菓子は上手にできあがる。

だから、ストレスがたまっているときにやっつけ仕事で作るお菓子はおいしくならない。

聖書には、どのようなすばらしい行いも、愛がなければなんの意味もないという、教えがあるけれど、これにたいする私のつたない理解は、↑のお菓子作りの経験にもとずく。

で、ロンダバーンが書いている。「すべてのものに愛を与えます。…そのためには、あなたがまず幸せであること…」
ふ~ん、そんなもんか…と思いつつ、なんとなく、また玉ねぎの皮が一皮むけたような気分になった。

そして、とんでもないことに気がついた。

私、何度も、「人にたいして嫉妬の感情を持ったことがない」と書いている。
これって、大嘘だね。

確かに、私の嫉妬心は顕在化していない。
こと、男女の愛情に関しては、ひとりの人から愛されるのは窮屈でたまらないから、相手が適当に浮気していてくれたほうがいいと思う。パートナーの浮気相手に嫉妬心なんぞいだくはずもない。

人生のいろんなことについては、ハードルが低い。私の低いハードルでほしいと思う物は、全部手に入れているから、私にはとうてい手にはいらないものを他の人が持っていたとしても、これまた嫉妬の対象にはならない。

だから、たしかに、具体的に人を嫉妬したことはない。

で、どろどろとした人の嫉妬心というのは、けがらわしい、いとわしいものと思う。
ひいては、そんな嫉妬心をいだいて生きる「人間」というものは、本当にけがらわしい、いとわしい存在と思う。

自分は、そんなどろどろとした「人間」(←、いわゆる、人の間ってやつ)とかかわりあいになるのはいやだから、感情などというくだらないものは無視して、理性と理屈のみで生きる。

人に嫉妬なんぞしたくないから、人を真剣に愛することもしない…

これが今までの私。

これ反応はすべて、心の奥底にくすぶっている嫉妬の火種を奥ふか~くに封印して暮らしてきた結果ですね。
私が人に嫉妬をしなかったのは、嫉妬をする対象がなかったから、あるいは、人を嫉妬しなければいけない環境におかれたことがないからであって、私に嫉妬心がないからではないってこと。

これは、嫉妬心がない筈の私がなぜ、いままで、これほどまでに人から恨まれたり妬まれたりという経験をしたかによって説明がつく(←、いえ、たいした経験じゃあないんですけどね、以前に書いた、とある大学卒でとある会社につとめていたという理由で、社員証を盗まれそうになったりとか、高校生の頃の噂話が原因で女性の先輩に恨まれたりとかという程度)

結論、私の中にも嫉妬心があったのですね。
なんか、わかったらすっきりしちゃった。

コメント

嫉妬。

うーん、何でもすべて上手くやる人や、嫌な事を笑ってやってくれる聖人みたいな人には自分がなれないので嫉妬しますねー。

男女の愛情も少しも嫉妬がなければ、愛しているとは言わないような気がしますし。

劣等感を持つということは、嫉妬の裏返しかなーと。

人よりお金を稼いだり、高価なものを買ったりする自由経済の発展も、優越感を持ちたいという(他人に嫉妬されるくらいに・・・。)コンプレックスの裏返しと思います。

人間の心理はやっかいです。第3者の目線で冷静に分析出来ても、心のコントロールが出来るとは限りません。

嫉妬心とか人間、感情は全部あると思うおぉ~~
全く感じない人間なんていないと思うの。
そうゆう場面に遭遇しなかったとかじゃないかぎり☆
そんなもんなので考え過ぎず、そうゆう感情を出せる方がすっきりするのかもでしゅよぉ~☆
出し過ぎるのも良くないけど、せめて自分自身がわかればいいと思ったり☆
その時々で、感情って変わってくるので、そのCDや本も、その時々で身に染みる時や全く今は関係ないやって思う時ってあると思う☆
ご自分が気持ち満足すればそれで十分かなぁ~って思ったりしましゅ☆
外国人はそれをキリストと言うところにぶつけますので、日本人はそこまで信じる物無いので、本とかそうゆう商売物があるのでしょうね~って思ったりしました☆
す・・ステ~キ、旨そう~~☆
http://blog.ap.teacup.com/hokkaidou/

MIB様

あはは、私は子供の頃から醒めてますので
俗に言う嫉妬の感覚はよくわからなくて戸惑うのです。
生きることにまるで情熱がなく子供らしくないと
よく言われました。
でも、劣等感とかいろいろと、別の形で表面に出て
来ているのでしょうね。
嫉妬をするほど好きになる人、巡り合ったことがありません。
少し変わるとよいのですけれどね。

ぽん様

ほんと、人間っていろいろな感情は全部持っていて
ただ、心の奥で抑圧しちゃうと自分でもよく
わかんなくなっちゃうんですよね。
隠し持っているよりも爆発させちゃったほうが健康的
って思います。
で、本とかCDとか、その時々で感じ方がぜんぜん
違いますね。同感です。
ステーキ、赤味ばっかのロンドンブロイルとかいうの
だったので、玉ねぎでごまかしました。
おいしそうって言っていただけると嬉しいです。

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