さくらんぼのアメリカ日記 九州旅行続き+ひとりごと

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九州旅行続き+ひとりごと 

ってか、この旅行は途中から米原と金沢に変わる予定なんだけど、まだ九州。
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この日は宇島まで行きたかったので、JRのパスがあるので小倉まで新幹線を使ってもよかったのだけれど、直通の特急があったのでそちらにしました。
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九州の特急って乗るたびにモデルが新しくなっていて面白いですよね。でも、小倉駅で方向が逆になるとかで、乗客が自分で椅子の向きを変えなきゃいけないのには驚いた。
あんな複雑怪奇なことはいったい誰がやるんだって思ったんだけど、椅子っていうのはレバーを押して回すとまわるものなのですね(汗)
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このあと、叔母の家によって、中途半端な時間だったのに、「お昼食べそびれたでしょう」と食事をご馳走になって、別の伯母のところと叔父の家にも車で連れて行ってもらって、いたれるつくせりで、申し訳ない限りです。
この日も咳ごほごほ状態だったので、「泊まっていけばよいのい」というありがたいお誘いは丁重にお断りして、早々にホテルに引き上げました。あっと、その前に小倉駅まで車で送ってもらったのですが…

で、昨日から気になっていた、この不思議な電車。なんと、次に出る博多行きの特急はこれじゃないですか。
ということで乗ってみました。
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いったいこれは何?自由席で乗れるのよねって思ったのですけれど、あとで調べたら、ホームライナーでした。
ゆったりくつろげて最高です。新幹線に乗らなくてよかった。
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今回、博多に二泊した理由は、体調がよかったら、用事は一日目に済ませて、二日目は鹿児島とか熊本まで足を伸ばそうかなあって思っていたからなんですけどねえ…

なので、翌日もお昼過ぎの新幹線だったのですが、チェックアウトが2時くらいだったことをいいことにホテルでぐだぐだとしていて、えっと、これは九州新幹線の中で食べたサンドイッチだったかなあ。
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これはどっちだ?
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これも新幹線の中のはずだが…
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んで、この日は長浜泊。最初の予定は、この日は東京に戻って、翌日金沢に向けて出発だったのですが、金沢に行くには東京から米原まで出てこないといけないというので、それならと米原泊に変更しました。でも、米原にはめぼしいホテルがなかったので長浜へ。っていうか神戸か京都に泊まってもって思ったのですが、紅葉シーズンだのか、めぼしいホテルはどこも一杯で、かろうじてあいているのが一泊3万円から4万円の部屋だったの、一人旅には贅沢すぎるかと…

で、ここのホテル、結婚式場が併設されていて、中はしゃれた作りになっていて、こんなビジネスホテル並みのお値段なのにいいのかっていう感じの至れりつくせりのサービスでした。
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ま、お部屋はしっかりビジネスホテルですが。
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オーシャンビューつきということで、朝日がきれいでした。
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このホテルは温泉はなくて、大浴場がありますとのことだったのですが、例によって咳ゴホゴホ状態だったのであきらめてお部屋のバスを使いました。

以下、まったく関係ないひとりごとです。哲学チックになるかぼやきになるかは不明。

ちょっと前、いろいろと考え事をしていて(というか、私の頭の中はつねにこういう思いがぐるぐる回っていてぐちゃぐちゃになりかけているので、あたらしい外国語の勉強とかをすると気が休まる構造なのですが。。。)いつもの、「はたして自由意志なんてあるのか」というテーマになった。

まあ、哲学的な話はほうっておくとして、個人的な意見では、人間には自由意志なんてほとんどないと思う。
「自分の意思で選択」、「自分で考えて行動」とか書くと聞こえはよいけれど、で、私が、今、ここでこうしているのは、すべてそういった選択の結果ではあるんだが…

果たして、そのような選択の中で、本当に自由に、「私」という何か主体的な存在のはっきりした自己主張をもとになにかを選択したことなんてかつてあったんだろうか?

私の場合、ほとんどすべては、「どれにしようかな」の選択肢から条件の悪いものを削っていくと、最後に残るものは決まってくる。ほとんどの場合、迷う必要もない。

私のかつての人生で思いっきり迷ったのはたぶん、一回だけ。昔々…アメリカの仕事を辞めて日本に戻るかどうかを決めるときに、4つの選択肢のなかに「これ」という決め手がどれひとつとしてなくて、どれも中途半端、2ヶ月近く、朝起きるつどに決心をしたつもりになって、夜寝るときには考えがかわっていた。

人生の選択に限らず、「あの人が好き・嫌い」「あれがやりたい・やりたくない」というのは、自由意志というよりも、すでに生まれ持っての性格とか、育って来た環境の影響とかで、かなり決まってしまっているものであって、そういった嗜好のもとで毎回毎回なにかを決めていくわけだから、そういうのって、自由意志ではなくって、過去の生き方の結果だったり、そういう生まれつきだったりといろいろ…はたして、本当に私の意志なの???と思うことがある。選択は特定の嗜好、価値感の陰に恐怖心が隠れていることも多い。

で、ずっと長いこと、人間の究極の自由意志は、「神を(あるいは別の何かを)信じること」を選択するかしないか…というか、「受け入れるかどうか」を決める権利だけだと思っていた。ま、それだって、かなり怪しいもんだが。

幼稚園の時に教会の先生が私の質問に答えてこう言った。「万能の神様が、人間を強制的に神を信じるようにさせない理由は、神様は、私たちの自由意志を尊重されていて、私たちにロボットになってほしくないからです。」…多分、こんな内容だったと思う。

でも、開く箇所によって、別の箇所とはまったく矛盾しているかのように見える、一見すると矛盾だらけの聖書には、こんな箇所もある。「この世の初めから定められていた子羊の書に名前を記されているものたちだけが救われる」みたいな。。。

んで、やっぱり、自由意志はないんじゃないかって気分になってくる。

んで、このあと、自分的にとっても新しい発見があった気がしたんだけど、すぐに書かなかったからよく覚えていない(汗)

結局、人には、最終的に、最後のひとつの質問、「何かを信じるかどうか」を選択する自由だけがあるのではなくて、「人にはなにひとつ自由などはなく、この世の中のすべては、自分の意思とは無関係に、自分のコントロールのまったくできない状況下で勝手に、時間もものごとも流れていく。自由などというものは存在しない。」という現実を、そのまま、あるがままに受け入れる(つまり、自分の意思で選択するのではない)ことによって、様々なしがらみから解放(Liberate)されるわけで、逆接的な言い方になっちゃうけれど、結局、究極の自由とかFreedomというのは、その後で初めて手に入るんじゃないかな…

と、そんなことを思った次第。

コメント

こちらでいつも鉄道物たらふく見れるのでいいでしゅ☆
鉄道ってか新幹線すら人生1回しか乗った事にゃいので・・・
しかし、豪華でしゅねぇ~  九州のは。
http://blog.ap.teacup.com/hokkaidou/

ぽん様

はい、九州の特急は、いつも乗るのが
楽しみなのです。
なので、今回も、本当はゆっくりと列車旅を
楽しみたかったのですが、風邪っぴきで
ホテルに引きこもっていました。

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