さくらんぼのアメリカ日記 昨日のフランス語/ひとりごと

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昨日のフランス語/ひとりごと 

これも1月の食事。市販のフランスパンのトーストジャム乗っけと....なんかぼけてるけど
IMG_6858.jpg
あいかわらずご飯三昧の日々。
IMG_6873_201603170459578c9.jpg

以下、フランス語
    French  English  
ʀɛspɔ̃sabilite f responsabilité responsibility n (prise en charge)
ʀɛv m rêve dream n (songe)
  m rêve (2) dream, daydream n (imagination)
ʀeve vi rêver dream vi (faire des rêves)
sɔ̃ʒ m songe dream n soutenu (rêve)
seʒuʀ m séjour stay n (résidence temporaire)
amenaʒe   aménager vtr set [sth] up vtr phrasal sep (installer une zone dans une autre)
fʀɑz f phrase sentence n (suite de mots)
fʀape vt frapper hit, strike vtr (taper)
ɛspʀi m esprit mind n (partie spirituelle d'un être)
otʀəmɑ̃ a autrement differently adv (d'une autre manière)

ひとりごとです。長いです。適当にスルーしてください。

ここしばらく、いろいろな思いが頭の中を駆け巡っていて、どこから整理していいのかわからないのだけれど、なので、いつも書いているようにときどきはきだしてやる必要があるのだけれど…

まず、夢のパターンは、おそろしいくらい同じテーマなんだが、ひとつひとつ微妙にずれている。扉をあける夢と飛行機の夢は書いたと思う。その少し前に、通勤用のシャトルバスに乗る夢を見た。混んでいるかなと思ったら、意外に空席が多くて楽チン…と思ったら、途中でもう一箇所停車して、いろんな人が乗ってきたので、邪魔にならないように自分の席のとこに入り込んで他の人が出入りできるようにしていた夢がひとつ。

飛行機の夢の後でみた夢は、今度は長距離列車(多分新幹線)に乗っている夢。いつものとおり、座席の心配をしているのだけれど、この列車のこの号車ならかならず座れるからと車掌さんの保証済み。母と一緒の夢だったのだけれど、私が二人で座れる席を探しているのに、母はさっさと自分用の席を見つけてしまって、「ここでいいわ」と座ってしまったので、ま、仕方ないので、私は私で自分用の座席を見つけて座ったあたりで夢は終わるのだけれど。

そして、これらの一連の夢と、私の内面的というか精神的というか心理面での心情の移り変わりを観察するに、結局、この世に、予知夢とか未来の占いとか、お告げとか、そういうものは、なに一つないのではないかという思い(←結論ほど強くない)に達しつつある。

夢によれば、私の希望はかなうらしい。ところが、私には、確固とした希望や未来像はないから、「希望がかなう」といわれても、なんとなくぴんとこない。一方で、ざわついていた心が、ここしばらく、かなり静かになっている。心がここまで静かなときは、たいてい、何をやってもうまくいく。未来は、あくまで現在の結果にすぎないのであって、夢は、現在の私の姿を見せてくれているにすぎない。ただし、現在の状況が未来につながるから、あたかも予知夢のように見えてしまうだけなのではないかと。

もうひとつ、私のいつものジレンマ。

私が自分の仕事をすれば、人が傷つく。
この疑問を究極までおいつめると、「私が楽しく幸せに好きなことをして生きていくということは、すなわち、誰かの幸せをうばっているっていうことなんだろうか?」といういつもの疑問にたどりつく。

この地球で支えられる生命の数に限りがあるとしたら…そして、アフリカとか南の国々で、飢えや貧困にあえぐ人々の生活を豊かにして。。。。結果、みんんが幸せになるのはよいことであるが、そうすると、この地球上で何十億という人間が全員、今の先進国の生活水準を維持するのは不可能なわけで、かといって、エコエコとさわぎつつ、現代のアメリカ人や日本人がこの快適な生活を簡単に手放すとは思われないし…

んじゃあ、もともと役立たずの私みたいな人間はさっさと消えて、前途有望な人々や、もっと、「ちゃんとした人達」に、生活してもらって、いろんなことを少しずつよくしてもらえばよいわけで、私は、「ほんじゃみなさん、あとよろしく」と消えてしまえばよい。

がっ

現実問題、これではなにひとつ解決しないことはあきらかであって

ましてや、私という魂は未来永劫存在し続けるという仮説が真実であった場合には、とんでもなくやっかいなことになる。

全世界が、私のおなかから出ている漫画の拭きだしみたいなバブルの中におさまってしまうと仮定した場合、私の感情と感受性と行為のすべてが、この宇宙全体に影響をあたえる。

問題は、それがどこでどうつながっているのか、まるで見えていないために、どこをどうおしたらどういう反応が返ってくるかが皆目不明だということ。

んで、結論。

私の行為の結果としての、他の人の気持ちなんぞ、まったく考えなければよいのである。彼らの行為は、私の行為と劣等感と感受性の結果なのだから、私が彼らのことを思って行動したところで、私が自分の中にあるとてつもない巨大な劣等感を解消しないことには、真の彼らの姿も、真に彼らが望んでいることも、私には決して見えるはずがなく、私が「相手を思いやる」という行為は、無意味であることがおおい。

もちろん、知人が病気だったり、経済上の問題をかかえていたり…というケースは話は別である。非力な自分なりに、できるかぎりのことはしたいと思う。

ここで、私がいっているのは、そういう次元の問題じゃなくて、いつもの会社の仕事のジレンマという次元の問題。

たとえば、先日の、「君の手をわずらわせるほどのことじゃあないよ」という同僚のひとこと。
「あっと、じゃあ、ご勝手にどうぞ」と投げたが、まあ、それだけだとあとで大変なことになるのは目に見えていたから、文書とメールでフォローしておいた。

時間は倍かかったけれど、記録に残るし、問題はおこらない。
事前に資料を用意して同僚にやってもらうということも一瞬考えたが、私の仕事内容を理解していない同僚に文書だけわたして、「あとお願い」とまかせてしまうのは、リスクが大きすぎる。(←過去にいろいろと問題があったので)

結果オーライではあるが、この行為が、同僚の気持ちとプライドと、あわよくば、私の仕事をのっとってしまいたいという目論見を台無しにしてしまったことはあきらかで、同僚の気持ちを優先するか、仕事のリスク回避を優先するか、まよったあげくの結論。


「職場の人間関係よりも、仕事のほうが大事だと理解してよろしいのですね?」という私のダメ押しについては、お偉いさんの了承をすでに取り付けてある.。。というよりは、お偉いさんからはっきりと言われたこと。

こういう場合、私が取るべき態度って、悩むだけ無意味じゃない?
なにも考えずに、やるべきことだけやっていれば、仕事がさくさくと進むんじゃないか…

そんな気がしてきた次第。

あ、で、吐き出しついでにもうひとつ。

ここ数週間、さらに、ここ数日、私の記憶の中で、私の過去の悪徳が、すごいいきおいで暴かれつつある...

というのは大げさなんだけれど、幼稚園から小学生にかけての、わがままな私のだだっこぶりと癇癪で、いったいまわりの人間にどれだけ迷惑をかけたことか。

このわがままは、中学・高校と進むにつれて、表向きは息を(ほんの少し)ひそめるようになったけれど、私の世の中にたいするひがみ根性という形で根強く残っていた。

だから、わがままな私は、まわりの大人や学校の先生の意見や忠告はすべて無視。

やだ、やりたくない、つまらない、興味ない。どうせ私なんて…

というのがその理由。
はあ、まあね、いまでもそういうところはあるが。

でも、あの頃の私の自信のなさとひがみ根性。今、私にトラブルを持ってくる、同僚達の中にちらみえしているような気がする。

あの頃の私にとって、わがままに自分勝手にふるまうことが、精一杯の自己防衛とサバイバルスキルだったとすれば…

結局、同僚の欠点は、やっぱ、私の欠点の拡大鏡でしかないということになる。

なんか、わかったようなわからないような。、

コメント

またごはん三昧でも凄く美味しそうにアレンジされてて、いい感じでしゅね☆
ご飯はアレルギ~大丈夫でしたっけ??

http://blog.ap.teacup.com/affiliate123/

ぽん様

どうもありがとうございます。
もう、アレルギーは何を食べても出るのですけど…
ご飯、不思議なことに、安いぱさつき気味のおコメだと、
症状が軽いのです。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://sakulanbo.blog60.fc2.com/tb.php/3465-789f4b19

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。